恵方巻とあるある

節分である。
恵方巻という慣習がこの名古屋でも一般的になってきてから、まだ4?5年という感じである。
Wikipediaよると、セブンイレブンが初めてコンビニでの恵方巻全国販売をしたのが1998年で、続いてローソンが始めたのが2001年とのこと。
名古屋にセブンイレブンが進出したのはまだここ数年の話なので、やはり名古屋は他地域よりも一歩浸透が遅れていたのかもしれない。

どうにもいまだ違和感がつきまとう。
伝統的な慣習な筈なのに「新しい」んである。
知らぬ間に我が家でもこの2?3年、節分になると太巻きが登場している。
ウチの母親などはそういった行事系のことは一応やっておこうというタイプの人なので、いそいそとスーパーで買ってきては孫達に、ちゃんと恵方を向いて、食べてる間はしゃべっちゃダメよ、などとさも昔から自分も行ってきた習慣のように教え諭したりしているのだが、その実、こんなに大きいものを一本丸ごとは食べにくいからと、包丁で半分に切ったものを与えたりしている。
縁が切れるから包丁で切らずに丸ごと食べるのだという一方の言い伝えなどにはまるで無頓着で、そう指摘すると、だって食べにくいじゃないの、などとむくれている。
そのうち、助六みたいにぶつぶつに切られたものが皿にのって登場するのではないか、と心配するのだが、一応の型は守るタイプなので、半分に切ったぐらいの長さでマネゴトをするのが適当ぐらいに考えているようだ。

各スーパーのチラシに大々的に売り出しが報じられていたり、回転寿司屋とかでも、クリスマス時のケーキよろしく、寒風吹きすさぶ中、店頭販売したりしているのを見るにつけ、突然のように慣習化した「新しい伝統」にとまどいつつも、まあ、いつもながらのことだなあ、とも思ったり。
もう2週間も経たないうちに次の似たような、甘ーい行事が巡ってくるわけで。

『あるある大辞典』の件からまだ時期が近いせいか、こうしたことに「同じ匂い」を感じてしまったりもする。
どうも日本人は、と大風呂敷を広げてしまうのは柄にないのだが、この手の匂いに弱いようである。
というか、あの件に関しても、みんな実は「納豆でやせる」なんてことを本当に信じていたわけではなかったのかも知れないなあ。
仮に納豆を食べて痩せられなかったとして、本気で番組を訴えようなどと思った人が幾らかでもいただろうか。
軽い気持ちで御利益を求めていただけなんじゃないかね。「痩せたら儲けもん」と。
「本気で」信じてるわけじゃないけど、「なんとなく」御利益は期待する。
これが多くの日本人に共通する信仰のパターンなんじゃないかなあ。
もちろん何パーセントかの「本気で」信じてる人は存在するわけだけども。
数少ない「本気」の人だけでは、商売の旨味も少ないわけで。
「なんとなく」の人で、三が日の神社もあふれかえっているのだと思うし。

などということを、恵方を向いて太巻を口に咥えたままもやもやと思ったりしたのでした。

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