『一九七二―「はじまりのおわり」と「おわりのはじまり」』坪内 祐三

一九七二―「はじまりのおわり」と「おわりのはじまり」
1972年といえば、僕は小学2年生かぁ。
仮面ライダーやバロム1、ウルトラマンエースやミラーマンに熱中していた頃で、この本にある「あさま山荘」も「キャロル」も「日本列島改造論」も「幻のストーンズ初来日」も、すべて事実としては知っているものの「体験」としては残っていない。
当時、中一?中二だった著者とは6年の開きがあるわけだが、その世代格差は大きいのか?
大きいといえば、大きい。
しかし、著者よりも6年世代が上の、当時20歳前後だった《つまりまさに全共闘世代》人々と著者ほどの差があるわけでもないとも思う。

それは何故か? その答えがこの少しとりとめのないとも思える本の中に隠されているようだ。
とりとめのなさは、雑誌連載という背景をそのまま残した著者の意図するものであるようだが、それがまた時代の空気を多角的に我々に伝えてくれる。

1972年に起こった様々な事件・流行を通じて、この年をひとつの境にするかのように、我々の生活から『特別なもの』が、時間的にも空間的にも失われていく様子が静かに描かれている。
この本の中の言葉を借りれば、「『ハレ』と『ケ』の境界線が薄れて行く、ちょうどその転換期」にあたったということになる。
個性が失われた社会、などという手垢にまみれた表現を使ってわざわざその主張を陳腐化させることもあるまい。

実感として、70年代後半から今にかけて、それ以前の変化の速度は失われてしまったように思える。
のっぺりした世界の中で、我々は緩慢に生きている、そんな感じがずっとしている。
そんな現実をボワっと浮かび上がらせてくれる本ではないだろうか。

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