ダウンタウンの漫才

昨日の話の続き....。
『当意即妙』芸と『ご存知』芸のハナシ。

南海キャンディーズからズームアウトして笑芸一般でこの構図を見出してみると、さほど考えるまでもなく前者の代表として浮かんでくるのは、ダウンタウンである。
『当為即妙』のカタマリとも言うべき松本のボケとそれを自在に受ける浜田のツッコミを擁するダウンタウンが、かなり初期の段階で「漫才」というネタ形式を実質的に封印せざるをえなかったのは、こうしてみると必然的なことだったのだなあと納得できる。
「クイズ」ネタとか「誘拐」ネタとか、初めて見た時は笑い転げた秀作ネタも、何度も見るたびに色褪せていくのを止めることは出来なかった。彼らのネタは『ご存知』芸にはなりえないネタである。
よく云われるように『ガキ使』のトークが始まって、やはりダウンタウンはひとつ突き抜けたのだと思う。あの形式こそが『当意即妙』を際立たせる新たな手段であったのだ。

つづく、かな? つづかないかも。

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Comments [3]

「同じネタを2回見ると破壊力が落ちる」ということであれば、
ミュージシャンのライヴは成立しないのではないか?
(アルバムと同じ曲しか演奏しないんだから)

わたしはDVDで南海キャンディーズのネタを
何度も見直したりしてるけど。

中田カウスボタン師匠は『当意即妙』なのか、『御存知芸』なのか?
たぶん両方じゃないかな。
徹底的に練習したうえで、アドリブをちりばめているようだから。

そーですね、確かに完全に分離できない部分はあります。

僕がこの場合の『ご存知』芸を持つ芸人として想定した芸人達の中には、東京コミックショー、横山ホットブラザーズ、球児・好児等のベテラン勢も含まれるのですが、彼らの超定番の繰り返しネタは、パターンの中に『当意即妙』のくすぐりを得て初めて完成しているものかも知れません。

それを承知の上で、僕の考えていたことを言い換えると、出てきただけで「お、アレやってくれるぞ」と具体的な何かを思い浮かべてワクワクするのが『ご存知』芸人、「お、なんか面白いこと言ってくれるぞ」と漠然ながらある種の確信を持って期待できるのが『当意即妙』芸人、ということになるのかな。

ちょっと伝わりにくいですかね。

ダウンタウンが『当意即妙』芸に特化したのは、
テレビに最大限に適応したからだと思う。
究極の『当意即妙』はフリートークだからだ。

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