小林克也のこと その3

『YELLOW MAGIC CARNIVAL』で思い出したけど、曲間のナレーションを努めたアルバムといえば、忘れてならないのが山下達郎の『COME ALONG』。『?』も出たけど、初期達郎サウンドを繋いだベスト盤的企画盤。イントロナレーションとしては最高。バッチリ合ってる。

さて、それで『ベストヒットUSA』。放映が81年から89年までということだから、まさに80'sの申し子。出会いは高2の時だったんだなあ。洋楽を聴きまくっていたあたり。モチロン欠かさずに見ていた。
名古屋では名古屋テレビの金曜夜だった筈。この後にテレビ愛知の(sony presents)MTVに流れたのが、ミュージック・クリップ番組黎明期の僕らの視聴傾向だった。
終了後、かなり経って『ベストヒットTODAY』という番組が(名古屋では)CBCの深夜にひっそり流されているのを見た時は驚いた。『ベストヒットUSA』と番組フォーマットからテーマ曲に至るまでまったく同一の番組だったからだ。
唸ったのは、単なるナツメロ番組として復活していたわけではなく、その時の最新ヒットをきっちり紹介していたことだ。そしてしばらくして中日新聞の夕刊の記事だったかで、小林克也個人が自分のスタジオで番組製作して放送局に売り込んだ番組と知り、さらに仰天。
ここにおいて、小林克也の本質を思い知らされることになる。こういうヒトだったんだ。
以後、この番組は放送局の壁を乗り越え、現在に至るまで連綿と続いているようだ。(BS朝日なら見られるのかー)
動く小林克也を見たのは、おそらくこの番組が初めてだったのだろうが、その後様々な番組で彼を見ることになる。そのひとつが『ベストヒット83』という番組だ。

続く

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