- 本のコト
- ミステリ

一番最初にシャーロック・ホームズを読んだのはいつだろう。
多分、どこかのこども世界文学全集の1巻に何編かが収められていた奴じゃないかと思う。ポプラ社の乱歩を読み始めたのと同じぐらいかなあ。小3とか、それぐらい?
「まだらの紐」は入っていたと思うね。「赤毛連盟」も。
それからジュブナイルで幾つか読んで、小学校高学年で、新潮文庫の何冊かを読んだのだと思う。
で、おそらくちゃんと読んだのはそれっきり。
ああそうそう、その前後に図書館で小林司、東山あかねのシャーロッキアン本を何冊か集中的に読んだりしてたっけ。原典よりそっち方面が好きというのは、その頃から変わってないかも。
それからも何度か新訳が出るたびに読み直してみようとは思うものの至らず、今回のは年頭に出た際にちょっとそそられていたのだが、すっかり忘れていた。先日また見かけたので、買って読んでみる。
まあ、感想も何もないわけだが、なんというか「祖型」というものをつくづく感じるねえ。
もちろんホームズ自体にもデュパンとか「祖型」はあるわけだが、圧倒的にここでこの型が確立しちゃってるわけで。
翻訳に関しては、普通に読みやすい。もちろん質を云々する能力はまったくないわけだが。
そういうことに関してはこちらなんか見ていただけると。
『沈黙のあと』ジョナサン・キャロル
- 本のコト
- SF
沈黙のあと
キャロルの新作が久々に創元から近々出るというので、慌てて本棚から未読のハードカバーを引っ張り出す。
ジョナサン・キャロルは大好きな作家で、文庫で出るたびにその都度読んできていたのだが、ハードカバーで出るようになって、ぴたりと読むのを辞めていたのだ。もう10年以上も経つのだなあ。
その理由は、当時ハードカバーを読む習慣がなかったこともあるのだが、楽しみに取っておこうという気持ちも働いていたのは事実である。キャロルを読むという至福の体験を先延ばしにしたいという気持ち。
その間に出た長編2冊と短編集2冊が未読であった。
その内の最初に出たのが、この『沈黙のあと』。
幸福な体験の後の苦みに満ちた恐怖。満ちあふれる愛情と大きな喪失感。
キャロルお得意のモチーフだが、今作ではそれらがいつものファンタジー要素をギリギリに押さえられて(読み方によってはまったくナシで)描かれている。
ヴェルヴェットのような質感で描かれた部分があったかと思うと、ある時はコースター感覚で頁を繰る手ももどかしくといった部分もあり、極上の読書体験が味わえる。
ラストが釈然としないと思うか、見事にキマったと思うかは微妙かな。
- Permalink
- Track Back
- by eleking
- 本のコト
- 日本文学

前から気にはなってたのだけど、やっと文庫化されたので読んでみた。
...うーん、期待したよりは面白くないなあ。
まあ、それなりに楽しめるのだけど、あまりにも各話がパターンに過ぎる。
いろいろな神経症にかかった患者達が神経科医の変人・伊良部の元を訪れて、治療なのか、おちょくられているのか、天然なのかまったくわからないままに通院を続け、偶然なのか必然なのかその病が解消されていくという基本パターン。
くすぐりのギャグもパターンなので破壊力がない。
いや、パターンが悪いって言ってるんじゃないっすよ。奥行きがないんだよなあ。
映画版やTVドラマ版は未見だけども、映像化したものの方が素直に楽しめるかも。
とりあえず、『空中ブランコ』までは文庫が出たら読んでみますが。
- 本のコト
- 日本文学

先日、BOOKOFFに行って棚を眺めていたら、どう見ても読んだ形跡のない新品同様のキレイな一冊が目に入ったので、思わず買ってしまった。800円。ラッキー。
言わずとしれたベストセラーであるが、あまり予備知識なく読み始めた。といってもシンプルな話なので、予備知識も何もどんな内容の話なのかは大体わかっている訳だが。
子供の頃の廃院になった病院を改造した住居で暮らしていたとかいう話は、以前にもエッセイか何かで読んだなあ、と思いつつ淡々と読み進む。
飾り気のない文章だが、すっと胸の内に入ってきて澱むところがない。
いやしかし、この本の評価は、読み手の母親との関係の持ち方によって結構左右されるのだろうなあ。
母一人息子一人の環境で育った僕のようなものにとっては、作品として冷静に距離を取れない類の話である。
読み終わって、恥ずかしながら、母親を今までより大切に扱おうと自らを省みた。
- 本のコト
- ノンフィクション

これも面白いねえ。
そういう風に考えると物事が見やすくなるなあ、と思うことしきり。
僕のようなものがボヤボヤ考えていることをスパンとした切り口で整理して見せてくれるので気持ちが良い。
『個人情報保護』の話なんかも、感じていた違和感をきっちり説明してくれている。
個人情報というのは個人が「所有する」ものではなく、むしろその人を取り囲む共同体メンバーがその人に「贈与する」ものである。
つまり自分の名前とか住所とか諸々は、自分自身にとっては用がないもので、自分を必要とする他の人にとって用があるものだということ。
今の『個人情報保護』の観点は、その他の人からそうした情報を隠してしまうことにあり、それはその他人というものを危険なものとして見ているリスク社会ならではのことであるというのだ。
果たして、共同体にとって「名簿」が存在しない事態は幸福なのか不幸なのか。
少なくとも不便ではある、ということはそろそろみんな気付いているとは思うのだが。
- 本のコト
- マンガ
さて、久々にドカベンの続き。
11?13巻は、いよいよ神奈川地区予選。初めての甲子園への第一歩である。
高校入学前から伏線的に登場していた不知火と雲竜との戦いがたっぷり描かれる。
14巻から、山田、里中、岩鬼、殿馬、高一の夏の甲子園の始まりである。
土佐丸高校と同宿で、その不気味さを予感させつつ、第1回戦は坂田率いる通天閣高校。
これは結構あっさり終わり、中を飛ばしていきなり準決勝の土佐丸高校で犬飼兄弟と戦う。
頭にケガを負った里中や武蔵登場などさすがに見所たっぷり。
次のいわき高校との決勝戦は地味な印象だが、岩鬼のベース踏み忘れによる幻の先頭打者ホームランとか結構覚えているなあ。
ここら辺で中学編終了に続き、二つめの区切りといったところかな。
昨日の続き。
その頃のジャンプで他に記憶に残っているのは、「あらし三匹」と「漫画ドリフターズ」。どちらも地味ながら意外と長いこと続いた連載だったが、線が荒く、僕にとってのジャンプを象徴していた。
その少し後で始まった「アストロ球団」「庖丁人味平」の2作品は、当時のジャンプの中でもっとも好きな作品であった。
小学校高学年ぐらいになると、75年「サーキットの狼」は車オンチの僕には関係のない作品で、「東大一直線」も画がダメ、「こち亀」も連載が始まるが今ひとつ好きでは無く、「ドーベルマン刑事」をさらっと読み流す程度。
周りがジャンプを読むようになるにつれ遠ざかり、当時はチャンピオン派だったかな。だから「すすめ!!パイレーツ」や「リンかけ」など、超定番マンガも今ひとつ馴染みがない。実は「キン肉マン」もまともに読んだことがない。
再び、僕がジャンプに少し興味を持つようになったのは、「コブラ」や「Dr.スランプ」など、画そのものに興味を持てるマンガが載りはじめるようになってからだ。その頃は中学を飛び越え高校に入っていたかな。
ただ高校時代は完全に「うる星」「タッチ」のサンデー派だったので、やはりジャンプは敵視していた。
その後もそんな状態が続き、実は80年代中期以降の「北斗の拳」「ドラゴンボール」「キャプテン翼」全盛期は家の商売の関係で毎週買っていたにも関わらず、多分ほとんど「ドラゴンボール」と「ジョジョ」しか読んでなかったと思う。
90年以降は、マンガそのものをほとんど読んでいない。
ということで、ジャンプに対する思い入れは実はほとんどないのだ。
実はこんなサイトを見つけて、最近じっくり眺めている。資料的価値が高く、誠に素晴らしいサイトだと思う。
これを眺めて思うのは、僕にとってのジャンプゴールデンイヤーズは、72?73年あたりということになる。
バケモノ雑誌になるずっと前だったんだなあ。

この本の最初の版が出たのは、もう10年以上前の1994年、「SLAM DUNK」「ドラゴンボール」「幽遊白書」「忍空」の時代で、その頃にはとっくに「少年ジャンプ」を読まなくなっていた。しかしながら、雑誌創成期から600万部を越える発行部数を誇る時代に至るまでの裏側が事細かに書かれたこの本には興味を引かれ、読もう読もうと思っていながら文庫化を経てしばらく、今頃思い出したように読むことになった。
内容そのものは、実名をあげてのかなり辛辣な描写もありつつの暴露本的要素もチラ見えするものの、根本としては自らが育ち、また育て上げた日本一のマンガ雑誌への深い愛情に裏付けられた迫真的なドキュメントである。
僕自身の「ジャンプ」体験は、幼稚園時代の『ハレンチ学園』ショックはさておき、雑誌として接したのは71?72年頃、「荒野の少年イサム」「ど根性ガエル」「侍ジャイアンツ」「トイレット博士」の時代であろう。
主に行きつけの床屋の待合いでまとめて読んでいた。散髪に行くというより、ジャンプを読みに行くのが主眼だったように思う。
それでいて実は「ジャンプ」派ではなく、石森・手塚・赤塚を経てサンデー系のマンガが好みだった僕は、丸みを持った柔らかな線のマンガ至上主義者で、多くの「ジャンプ」マンガに特徴的な汚い線が苦手だった。
...あれ、ブックレビューのつもりでちょこっと書き始めたら、意外に書くことが出てきたなあ。
別の項に続く。
『東京裏路地“懐”食紀行』ブラボー川上,藤木TDC
- 本のコト
- ノンフィクション

この本の原本のことはまったく知らなくて、このちくま文庫版が平積みされているのを見て、藤木TDCの名前に反応して購入。懐かしい名前を見た感じ。
まあ、B級グルメ探訪本と一口で片付けてしまおうとすればしまえる本なのだけども、戦後闇市の歴史をひもときつつその名残を色濃く残した飲み屋・食い物屋を中心に廻っているのが特色か。
しかしながら、この手の本としては写真がモノクロのみで見にくいのが致命的。原本はどうだったのだろうか。
記述もその欠点を補うには至らず、いたずらに粗食・貧食を礼賛するばかりで懐古主義の戯言と読み流してしまう箇所も多い。そもそもこの著者の二人、僕と2?3年歳が上なだけなのに、あの頃の食い物はこうだったなんて片腹イタイ。所詮後追いに過ぎない筈なのに。
まあ、そこをしっかり目をつぶって読めば、そこそこ面白いし、街の歴史コラムは簡潔にまとまっていて興味深い。
総体的に1冊の書物としては、少し期待ハズレ。連載記事で気楽に読みたい感じ。
- Permalink
- Track Back
- by eleking
- 本のコト
- ミステリ

つことで読みました。
作品そのものというより、この本を取り巻く状況に興味があって、読みたくなったということは以前に書いた。
そのためシリーズを遡って読んだりして、我ながらメンドクサイ性格だなあ、と思ったり。
さすがよくこなれていて、つるつる読める。読んでる最中はそれなりに面白く読んだのだが、余韻は今ひとつ。
よく出来たサスペンスドラマを見ている感覚。これは本格ではないと声高に叫ぶ気持ちも考えも毛頭ないが、なんかミステリ読んでるという感じが薄かった。
読後感としては、これまで読んだ数少ない東野作品同様、面白いけど物足りないという感じ。
トリックや仕掛けに納得出来ないことはまったくなかったのだが、納得出来ないのはこれが『純愛』を書いた本とされること。うーん、そうかね。これが『愛情』なんですか。その部分においては二階堂・笠井両氏の感覚に共通するものを感じるなあ。
で、ミステリマガジン3月号に掲載された両氏の文章をやっと読むことが出来、さらにネットでイロイロ論争を追ってみたのだが、なんかイマイチつまらん。
せっかく、論争を楽しもうと思って読んだのになあ。