本のコト 一覧

砂漠で溺れるわけにはいかない
予備知識なしに書店で発見してびっくり。
待たされに待たされまくった前作から1年ぐらいの間隔じゃないの。しかも薄い。
これで現在のところ最終巻かあ。大好きなシリーズだったが、前作から少し毛色が変わってきている。
さらさらっと読める。語り口は相変わらずすばらしく、秀逸な訳だなあとつくづく思う。
最初の三作で感じられた「苦味」は表面にあまり浮かんでこず(底流には流れるのだが、今作だけ読んでるだけではわからないだろう)、軽妙なアクションコメディを観るかのように話は進む。
軽かった前作以上にさらに軽い。この4作5作目が書かれた意味は何なのか。かんぐりたくもなる。
面白くはあるのだが、やはり喰い足りないなあ。

『夜のピクニック』恩田陸

夜のピクニック
映画公開を前に満を持しての文庫化で、そいじゃひとつ読んでみるかと。
誰もが誉めてるような気がして、読む前からある程度の期待と安心感を持って読み始めたのだが、あれ...。
恩田陸は、まだ2?3冊しか読んでおらず、そのいずれもがすらすらとリーダビリティが高く、悪い印象は持ってないものの、何かしらしっくりこないものを感じてはいた。
今作も確かに読みやすく、シンプルなストーリーだが、そのせいか加速がついて、うっかり読み飛ばしてしまうほど。引っかかるところが全然ない。
あまり貶すべき小説でもないだろうし、子供が読むと言ったら「面白いよ」といって薦めもするだろうが、僕にとってはいろいろな部分が上滑りしてしまった小説であった。
ある意味、印象がダブる『六番目の小夜子』のほうが僕は好きかな。

『文学賞メッタ斬り! リターンズ』大森望×豊崎由美

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  • ノンフィクション, 日本文学

文学賞メッタ斬り!リターンズ
あー、おもしろかった。
ヘタな小説読んでるより面白くて、書いてある内容はまったくもって遠慮がない。
オットロシクしくて小説なんて書いてらんないでしょ、作家の方々。そーでもないですか。
でも少なくとも作家志望者の方の一部はこれ読んでトラウマになっちゃったりとかないかなあ。そんな柔なヒトはそもそも向いてないか。
しかしまあ、ホントによく読みますな、お二方。というか、ここに揚げられた本はそのごく一部に違いないわけで、もうなんというかその物量だけでも信用に値する。
特に大森氏の一部からすべてを掴みとる頭の良さには常々敬服する次第。その頭がこんな読書を可能にしてるのか、このような読書がそんな頭を作ったのか。
それはともかく、内容というより構成に注文あり。
ROUND4は芥川・直木賞発表直前&直後のコメントおよび予想対談記録なのだが、これの後にROUND2を持ってきて欲しかったかな。ROUND2は選考委員の選評に対して毒を吐いているわけで、時間軸的にもその順番のほうがしっくりくるのだけども。
そのROUND4が全体の3分の1ぐらいを占めるということもあって、今回は芥川・直木賞にちょっと偏りすぎたきらいがあるかな。ま、最大のイベントなんで致し方ないのかも知れぬが、も少し他の賞のことも知りたかった。1冊目でやりきった感はあるのでしょうが。
たぶん、第3弾も出るのでしょうが、とりあえずお楽しみということで。

『カラマーゾフの兄弟』 ドストエフスキー

カラマーゾフの兄弟 上   新潮文庫 ト 1-9
いやー、一ヶ月強、これにかかりきりでした。
かかりきりといってもいつもの通勤読書の時間だけなんだけども。
決して読みにくいわけではないのだが上・中・下、それぞれ600ページ超、改行あまりなしでぎっしり詰め込まれた濃密な文章。たっぷり読み応えありました。
いわゆる名作に疎い僕の読書経験上、ドストエフスキー読むなんてのは子供の頃、ジュブナイルの『罪と罰』に挫折して以来のことである。
稀代の名作、完全な小説、との評価高く、確かに読んでよかったとは思うものの、期待していたほどの感動や認識の変革などには至らず。まだまだ読みが浅く、若輩者であるが所以であろう。
でもこれで今まで敬遠していた世界の大長編や名作群などに挑戦してみようという心構えはできたけどね。

『うつうつひでお日記』吾妻ひでお

うつうつひでお日記
全然予備知識なしで本屋で遭遇。おおーっ、出たばっかじゃないの。
自費出版の同人誌に初出のものから、『comic新現実』に連載された2004年7月から2005年2月までの"克明"な日記マンガ。
2005年2月といえば、かの『失踪日記』の出版前夜で、再び脚光を浴びる以前の生活?朝起き、コーヒーと甘いパンの朝食を採り、少しマンガを描き、「笑っていいとも」を見、麺類中心の昼食を採り、図書館とレンタルショップに外出し、本やマンガを読み、夕食を食べ、TV見て寝るという執拗なまでに繰り返しの日常が連綿と綴られる。
この一見情報量がなさそうなフォーマットに、圧倒的な情報量が詰め込まれている。固有名詞が満遍なくちりばめられ、『なんとなくクリスタル』を彷彿とさせる(嘘)。
しかし、相変わらずSF読んでるなあ、とニヤリとしてしまう。ニーヴン、ホーガンから、ウルフ、イーガンまでしっかり追っている。まあ、SFばかりでもないのだけど。読書日記としての側面もあるわけで。(表紙カバー裏に、言及された本のリストが載っている)
『失踪日記』もそうだったが、現実問題としてかなり鬱々とした日常が描かれているわけだけど、読んでるこちらが滅入って来ないというのは、やはり絵柄と飄々とした語り口にあるのだろうね。
まあ、しかし、僕も勤めてなかったら、ほぼ同じような生活してるだろうな、間違いなく。実際、会社に入る前は、かなり近いものがあったし。

『子どもは判ってくれない』内田樹

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子どもは判ってくれない
最近すっかりお気に入りになってしまった内田センセイの旧著の文庫化。
読んでて気持ちいいのは、判りにくいことは無理に判りやすくせずに、それでいてスパリスパリと切り分けて見せてくれるからだろうか。
読むと必ずひとつはなるほどなあ、と思うことがあって、この本ではたとえば「精神年齢の算出法」という章において、「人生五十年」とされた昔に比べて、80歳の寿命がある今の人々の精神年齢を算出する計算式として、「現在の実年齢」に八分の五をかけるというのである。
四十一歳である僕の場合は、二十五?六歳ということになり、これはなんだかとっても個人的に納得出来てしまう数字である。
別にそれぐらい「若い」つもりでいるというわけではなく、それぐらい「ガキ」だなあと常に思っていたのである。
その式で云うと、今の二十歳は十二歳半。
トホホ、と思うが、そんなモンなような気がする。しません?

"George's Marvelous Medicine" Roald Dahl

George's Marvelous Medicine (Puffin Novels)
英語に慣れる一環として、いわゆる英語多読という奴を実践しようとしてるのだけど、そのきっかけとなった『快読100万語!ペーパーバックへの道』には、童話レベルの本をドンドン読んで、すらすら読むという事自体に慣れよ、と書いてある。
絵本レベルのものから徐々にレベルを上げていき、ジュブナイルとかを辞書なしでわからない単語をドンドンとばして読みなさい、とあり、メンドクサガリの僕としては、おお辞書で調べなくてもいいのか、こりゃいいわ、とたちまち実践する気になった。日本語はとばし読み出来ない性質だが、英語ならアキラメもあってかドンドン飛ばせる。
その実践に、ロアルド・ダールの本が適しているとあり、確かにレベル毎に考えて書いたかのようにラインナップが揃っている。
先日、もっとも薄い"THE MAGIC FINGER"を読んでみたのだが、確かにおもしろい程あっというまに読める。
調子に乗って、それよりも少し厚い奴と思って買ってきたのが、コレだ。
これまたドンドン読める。
と、学校の図書委員である次女が図書室に今日入ってきた本をいち早く借りてきたといって、見せてくれたのが、なんと昨年ドドッと訳されたロアルド・ダール・コレクション版のこちら。
ぼくのつくった魔法のくすり    ロアルド・ダールコレクション 10
親子で偶然同じ本を読むことに。

一九七二―「はじまりのおわり」と「おわりのはじまり」
1972年といえば、僕は小学2年生かぁ。
仮面ライダーやバロム1、ウルトラマンエースやミラーマンに熱中していた頃で、この本にある「あさま山荘」も「キャロル」も「日本列島改造論」も「幻のストーンズ初来日」も、すべて事実としては知っているものの「体験」としては残っていない。
当時、中一?中二だった著者とは6年の開きがあるわけだが、その世代格差は大きいのか?
大きいといえば、大きい。
しかし、著者よりも6年世代が上の、当時20歳前後だった《つまりまさに全共闘世代》人々と著者ほどの差があるわけでもないとも思う。

それは何故か? その答えがこの少しとりとめのないとも思える本の中に隠されているようだ。
とりとめのなさは、雑誌連載という背景をそのまま残した著者の意図するものであるようだが、それがまた時代の空気を多角的に我々に伝えてくれる。

1972年に起こった様々な事件・流行を通じて、この年をひとつの境にするかのように、我々の生活から『特別なもの』が、時間的にも空間的にも失われていく様子が静かに描かれている。
この本の中の言葉を借りれば、「『ハレ』と『ケ』の境界線が薄れて行く、ちょうどその転換期」にあたったということになる。
個性が失われた社会、などという手垢にまみれた表現を使ってわざわざその主張を陳腐化させることもあるまい。

実感として、70年代後半から今にかけて、それ以前の変化の速度は失われてしまったように思える。
のっぺりした世界の中で、我々は緩慢に生きている、そんな感じがずっとしている。
そんな現実をボワっと浮かび上がらせてくれる本ではないだろうか。

『新しい高校物理の教科書』 講談社ブルーバックス

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新しい高校物理の教科書―現代人のための高校理科
長女に物理を教えろと迫られても、皆目わからない。何について聞かれているかさえさっぱりわからない。
理系オンチを標榜して憚らないワタクシであるが、なかでも「物理」という言葉には、畏れに近いものさえ感じる。
高2の時の担任が物理教師で、その時に履修したわけだが、けしてその教師のせいというわけではないが、赤点スレスレで推移したと思われる。理解しようとしなかったし、また理解できるなんて思ってもみなかった。
こればっかりは10年経とうが20年経とうが、いきなり理解できるわけでもなく、娘の高校の教科書を見ても嫌な思いがよみがえるだけ。

そうするうちに本屋でこの新書を見かけた。「生物」「化学」「地学」も出ているようで、ちょっとした売れ筋になってるようだ。
思わず買って読んでみた。

いわゆる易しく解き明かすといったことに重点が置かれた本というわけでもないようで、しっかり数式等も織り交ぜながら、高校レベルで習う内容を順を追ってきっちりと説明してある。
この「順を追って」というのがくせ者のようで、最新の新指導要領における現行の教科書では「電気」「波」「運動エネルギー」の順番に掲載されているらしいが、現場の教師を始めとしてこの配列は評判が悪いらしい。
物理の一貫したストーリーを追って教科を進めるには、従来通りの「運動.・エネルギー」「熱」「波」「電気」という順番でなくてはならないといい、この本もこの順番に沿っている。
娘に聴くと、現場の授業も教科書の順番を無視してこのように進められているらしい。

で、読んで理解できたか、というと、はなはだアヤシイ。わしの非理系アタマはこんなことぐらいでは、柔らかくなりそうもない。
ただ、どんなことを学んだか(あるいは学んだ筈か)ということは、おぼろげながらにつかめたし、興味を持って読み進めることができた。
しかし、こんなことも知らずに、よくSFとか読んできたなあ、と我ながら感心する場面も多々あった。
ちょっと苦手意識を薄めることができたかもしんないので、ちょくちょく関連書籍を読んでみよう。

『グリュフォンの卵』マイクル・スワンウィック

グリュフォンの卵
長年リタイア気味のSFファンをやっているが、それでも年に1?2度そそられる海外SFに出くわすと思わず買ってしまう。
マイクル・スワンウィックは『大潮の道』を途中で挫折していた筈。それなりに面白く読んでた筈なんだけど、どうしてだったかしら。我々の世代にはギブスンとの「ドッグファイト」が印象深いかな。
近年はヒューゴー賞短編部門の常連になってるようですな。

多彩とまではいかないがいろんなタイプのSFが10編つまった中短編集。
久々にSFを読んだなあという実感は得られる。
程よくわかりやすく、程よくわかりにくい読み応え。
その分物足りなさも覚えるけどね。あら、そこから先には行かないわけね、とか。
「犬はワンワンと言った」「スローライフ」「死者の声」あたりが好みかな。表題作も良かったけど。

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