
『図書準備室』田中慎弥
芥川賞候補となった表題作は、三十を越えたニートが、自らがそうなった理由にならぬような理由を徹頭徹尾蕩々と言い訳し続けるという話。
話の内容がどんどんずれていくようでそうでもなく、読み始めに高まった期待は持続せず、途中いまひとつ入り込めなかったけれど、軽妙なラストのせいもあり、奇妙な味は残った。
なかなか読ませるし。
それよりも併録されているデビュー作なのかな、「冷たい水の羊」がいい。
結構陰湿ないじめを微細に描いているので、読んでいて素直に好きとは思えない面もあるにはあるが、こちらはどんどん惹き込まれる。
「ニート」もそうだが、「いじめ」という題材選択を含め書こうとしている内容が直球なのか変化球なのか、どう受けとめるか微妙なラインで収まりが悪くも感じたけれど、ラストには不覚にも痺れた。
要注目だねえ。
『図書準備室』田中慎弥
- 本のコト
- 日本文学
「爆笑そっくりものまね紅白歌合戦スペシャル」ちらちら見る。
まだ全部見ていないが、ますますものまねに名を借りたネタ合戦になりつつある。
ただ、この件に関してはそれほど否定的ではなく、まあ、3時間の長丁場ならばこれもありかな、ぐらいに思っている。ネタとしておもしろければ、いいかな、と。
もちろんものまねとして成立していれば、なおよし、という感じで。
FUJIWARAなんてどこをどうとってもものまねではないのだけど、許しますよ。
友近の女DJネタがなかなか秀逸。華丸・大吉の児玉でミリオネアもよく出来ていた。
さて、録画を見返して星奈々センセイの出番を探さなきゃ。
◆
桜は満開のようだが、名古屋は黄砂が吹き荒れ見通しが悪いという。
確か昨年だかもこの時期、黄砂が凄かった時があったなあ。
あの時は確かに黄色かったけれど、今日などは白ぼけていたように感じたのだが、花曇り、というのとはまた違うのだろうね。
帰りがけに鶴舞公園を覗いてみようかなと思ったけど、床屋に行くことを思い立って、そのまま地元まで急ぐ。
明日辺り、満開の様子を覗いてみるか。
もう4月だそうで、つい先頃まで新春番組の録画をじりじりと消化していた身としてみれば、いい加減にしてくれと言いたくなるほどの時の流れの速さである。
時の流れの速さと言ったところで、歳を経るにつれそのように感じるようになってきたのだろうと納得させてきたのだが、いやどうも違う。
間違いなく時間が速く流れている。
一日が、一週間が、こんなに速く過ぎ去るわけがない。
といったところで、それは自分の中に流れる時間に過ぎないということなのだろうか。
仮に時間が速く流れていたとして、それを測定するメタ時間などというものはない。
たとえば幼き頃、眠れずにまんじりともせずに過ごした夜中の1時間は、いつ果てるともなき長さに感じたものだ。
または、深夜放送を聴き初めの中学生以前、「今夜もシャララ」が終ってから「オールナイトニッポン」が始まるまでの30分が長くて長くて持ちこたえられずに寝てしまったりとか。
今などは、横向いて瞬きしてお茶でも飲んだら30分1時間などあっという間に経ってしまうように感じている。
それは、幼き頃過ごした街に大きくなってから訪れた時、スケール感がまるで違って感じられるというのと、おなじ心理的な働きなのだろうか。
いや違う、やはり実際に加速しているんじゃないかという疑念がつきまとう。
だからそれが心理的なものなんだってと云われるだろうけども。
この分では、またたく間に桜が散り、新緑が芽生え、空に鯉のぼりが舞い、日差しが強くなり、そして新しく始まったTV番組は終っていくのだろう。
春と楽器とハンニバル
- 日々のコト
- ミステリ
午前中は通常出社で、午後より入社式。
ウチにとっては10年振りの新卒採用ということで会社もリキが入っている。
思いのほか、早く終ったので急いで上前津の会場から名城線に飛び乗り、市役所で降りて「ウィルあいち」に向かう。
長女の吹奏楽部の演奏会があるのだ。
出番の2時半にドンピシャで間に合う。
会の最後まで聴いて、終ってから会場で合流した義母と家族その1とその4と共に、すぐ隣の市政資料館の桜を眺める。
眺めるだけのつもりが、義母の希望で中にも入ってみることに。
いや、これがなかなか良かった。
旧地方裁判所であった文化遺産ともなっている建築が存分に楽しめる。
法廷や留置場もそのまま残っていて、自由に見学できるのだ。
こんな機会でもなければ、来ることもなかったろうから、いい体験をした。
その後、楽器を搬出しに行った長女を迎えに高校に向かうも、運送トラブルでしばらく学校を離れられないとのこと。
弁当が支給されるというので仕方なく、残りの4人だけで夕食を取りに行く。
三女の希望で、ヒッコリーのハンバーグ。前回で味をしめたらしい。
人気店なのでたっぷり時間がかかったのだが、店を出る頃になっても長女の拘束は解けずで、結局解放されたのは9時過ぎ。
共に残っていた友人と義母をそれぞれ送ってから帰宅。
◆

『ハンニバル・ライジング』(下)トマス・ハリス
読了。
うーん、凡作と云わざるを得ないような。
妙なジャパネスク趣味がこそばゆいというのもあるが、展開も単調だし、大きな盛り上がりにも欠ける。
訳者解説では、「人肉嗜好の問題について、その要因が明らかにされてない」と書いてるけど、そうかなあ。ハリスはこれで、答えを出したつもりでいるんじゃないか。
クライマックスで明かされるひとつの仮説に関して、レクターがそれを認識した瞬間に「発現」されるべきと考える必要はないんじゃないだろうか。
それが行われた時点に遡って、意識下に形成されていたという解釈でいいんじゃないかね。
まあ、とにかくスルスルとは読めたが、ちょっと不燃焼気味。
昨日の朝、新聞で見かけた週刊新潮の『「吉本興業」は怪芸人「中田カウス」に潰される!』がむちゃくちゃ気になったので、その日の昼にコンビニで立ち読み。
そのまま、横にあった週刊現代の『吉本興業副社長“マル暴脅迫事件”一部始終』を読んで、頭が????になる。
えーと、新潮の記事は、先に出た現代の記事に対抗して林マサ側が仕掛けた記事ってことでいいんですよね。
今日になって、ウェブ上でいろいろ追加情報を漁って、構図が描きにくいながらもぼんやり理解する。
いずれにせよ双方の記事を全面的に信用するわけにはいかないなあ。
◆
その流れでyoutubeにあった中田カウス・ボタン、いとしこいし、ダウンタウンという三世代に寄る鼎談という珍しいものを見る。
いわゆる芸談です。割とまっとうな。
関西ローカルの番組っぽいな。ダウンタウンはほとんどしゃべってないけどね。
橋本治とハンニバルを読む
- 本のコト
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『BA‐BAHその他』橋本治
橋本治の本を読むのは久しぶりだなあ。
ましてや小説など。
彼の小説とはいまひとつ相性が悪くて、そもそもあまり読んでない。
『桃尻娘』だって、ちゃんと読み切ってないぐらいだし。
ここ数年のうちに「ちくま」に連載された、ごく短い短編と10年以上前に発表された表題作を中心とした短編集。
表題作はなんだかよくわからない話なんだが、むりむりと読まされてしまう。
他の短編もバラエティに富むというか、やはりすべて橋本治印というか、気に入ったのもあれば、そうでないのもあり。
やはり「組長のはまったガンダム」前後編が、面白い。
息子のTVにつきあううちに、ファースト・ガンダムにリアルタイムではまってしまったヤクザの組長の話。
やがて息子はストーリーについて行けなくなってあまり興味を示さなくなり、一方親分は上官に逆らうアムロにいらいらしたり、「ニュータイプってなんだ?」と疑問に思ったり、「アムロさんは童貞か――」と訝しんだりしつつもどんどんはまっていく。
それだけといえばそれだけだし、ラストも唐突で唖然とするが、世に数多く存在するであろうガンダムネタの作品の中でも、そこかしこの微妙なさじ加減がさすがの一品であろう。
◆
『ハンニバル・ライジング』トマス・ハリス
上巻を読み終えた。
そんなに思い入れはないつもりだけども、『レッド・ドラゴン』からの付き合いなので、書店で見かけて発作的に買ってしまった。
最初ちょっと入りにくかったけど、後はスラスラ。
前作同様、章立てが短く(250頁ぐらいで36節もある)、場面の転換が早いのだが、今のところあまり大きなうねりはなく、淡々と話が進む感じ。
ちょっと中だるみっぽい感じもするけど、後編はいかに?
当然、復讐譚になっていくんだよねえ。
いい感じで本が読めてるんで、今日はお休みとします。
ものすごく久々に日本SFを読んだりしてます。
「ハンニバル・ライジング」も買ってしまった。
んじゃ。
植木等死去。
ガビーン。遠からずこの日は来ると予感していたが、やはり少しショックだ。
ウチの和室には、このマンションに引っ越した時だったか、先輩に譲って頂いた植木等直筆の色紙が掛けてある。
「わかっちゃいるけどやめられない」
の名文句が達筆で書かれており、まさに家宝と云ってよい。
自分は小学生の期間を70年代前半に過ごした完全にドリフ世代であるが、クレージーキャッツが大スターだった時代をなんとか覚えている最後ぐらいの世代でもある。
シャボン玉ホリデーを見た記憶もしっかり残っているし。
ただ、その頃すでにもう終った存在としても見ていたようで、ドリフの『全員集合』が初期の頃、半年間中断してクレージーの『出発進行』に代わった期間があったのだが、幼心に「おじさんが老骨にムチ打って...」と冷静に見ていたような記憶もある。
後に小林信彦の諸作でクレージー黄金期を追体験し、大瀧詠一編集のベスト盤「クレージーキャッツデラックス」が出た当時に改めて再認識した頃が自分の中でのピーク。
「スーダラ伝説」当時は、微笑ましく活躍を見守るといった心境だった。
世間的な活躍もその頃が最後だっただろう。ここ数年はごく希にしかTVで姿を見かけることがなくなり、その際も幾分辛そうな、硬くなった表情をしていて、以前のようなカッカッとした大笑いを見ることはなかった。
青島幸男が亡くなったのもつい最近だよなあ。それもまた感慨深い。
追悼番組はきっちりやってくれるんだろうな。それだけの価値はある人物のはずだが。
◆
『今週妻が浮気します』を先週やっとのことで見た。
見たといっても、CKBが流れるオープニングとエンディング目当てで、中身はオマケなのだが、ちら見したそのドラマ部分はなんだかなあ、という感じだった。
最終回の今週も見るつもりはなかったのだが、後半部をひょんなことから見ることになった。
なんじゃあれは。
最近のドラマはまったく見ていないが、まさかみんなあんなレベルじゃないよねえ。
口をあんぐり開いたまま見るハメに。
人の結婚式のスピーチの席で別れた妻に復縁を迫るというトンデモなシチュエーションを延々と続け、まさかこれで人を感動させるつもりじゃないよなあ、パチパチと一人二人と拍手なんか始めるんじゃないよなあと思ってると、その通り拍手が巻き起こって結婚式の列席者に祝福される中、なんとキスシーンまであるという。
他人の結婚式でですよ。てんやわんやですよ。
そんなアホな。もー、いい加減にしなさい。ちゃんちゃん。である。

図書館で借りてきた本。
図書館へ行くと、こうしたオタ本をちょくちょく借りてくるクセがある。
仮面ライダー、ウルトラマン、悪魔くん、サスケ、リボンの騎士、仮面の忍者赤影、超人バロム・1、巨人の星といった昭和40年代に燦然と輝く番組の成立事情や裏話、原作やコミカライズとの差などを少ない紙数ながらなかなか掘り下げた労作。
つくづく思うが、当時のこども達、わしらのことだが、本当にシヤワセだったなあ、と。
とにかく、この手の番組の量が現代とは圧倒的に違う。
あれだけの量の中にはクズもあろうが、やはり光るものも数多い。
そうした番組に常に接していられたのだから。
こうしたオタ本は、たまに非常に好んで読むのだが、ただ特撮やアニメのことが書いてあればいいのではないことに最近ながら気付いた。
どうも、僕は作品の内容そのものを研究したり、評論したりする傾向の本にはあまり興味を持てないようだ。
その番組が作られた制作の過程や背景が語られた内容の本にのみ、激しく反応するようだ。
だから、一時流行った『ウルトラマン研究序説』とかあの系統のやつはほとんど読んでないや。
その意味で、この本はまさにドンピシャの内容。
読んでる間、幸福感につつまれました。

